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あいみょん「瞬間的シックスセンス」感想

 

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数年ぶりにアルバムを購入

新年一発目のブログで、シンガーソングライターのあいみょんにドはまりしたことを書いた。

 

skypehelvete.hatenablog.jp

 

そして、来る2月にあいみょんの新譜がリリースされたので感想を書きたいと思う。

 アルバムのタイトルは「瞬間的シックスセンス」。彼女の曲作りに対する姿勢がわかる秀逸なタイトルだ。彼女の製作過程は、部屋でギターをかき鳴らしながら、作詞作曲を同時に進めているらしい。がちがちにコンセプトを固めたというよりも、その瞬間瞬間できた佳作が並べられているアルバム。紅白にも出てある程度売れたことにより、尊敬する先人たちと同じ土俵に立てた喜びや、自分の好きな曲を作ることが純粋に楽しい時期なんだなと率直に感じる。

 しかし、次のアルバムに向けどのように彼女のフェーズが変わっていくのか、なんとなく、息詰まるような印象も受けた。その正体は何か。自分の中で考察してみた。

 

 前回のブログでは、男性目線の歌詞を書くことで、等身大の自分からの脱却に成功している旨を書いた。今作はこの傾向が顕著に現出している。ここでは、アルバム内で明らかに男性目線の歌詞の曲にスポットを当てたい。

 (女性目線の曲は素直な感じで、やはりいい!)

 

「抱く」ことの刹那なのマチズモと、自信のなさ

 今作は1、2曲目がシングルカット(満月の夜なら 、マリーゴールド)で始まる。どちらも男性目線の歌詞をキャッチ―なメロディーで歌い上げている。

「満月の夜なら」は、多くの人が指摘している通り、明らかに性行為が暗示された歌詞だ。

横たわる君の頬には
あどけないピンクと更には
白い 深い やばい
神秘の香り

もしも 今僕が
君に触れたなら
きっと止められない最後まで

 

 官能小説を読むのが好きだというあいみょんらしい言葉で綴られる。細かい分析は、多くのブロガーが書いているのでここでは割愛するが、なんとも、女をリードする(リードしたい)男性像が見て取れる。

 


あいみょん - 満月の夜なら 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

 

 そして、前回のブログでも言及した「マリーゴールド」。

「もう離れないで」と 泣きそうな目で見つめる君を 雲のような優しさでそっとぎゅっと抱きしめて離さない

 とあるように、泣きそうな女性を、男が優しさで包み込むといった保守的な恋愛像に準拠した歌詞に仕上がっている。

 官能的な「満月の夜には」、プラトニックな「マリーゴールド」。そのどちらも、歌詞は男性優位な立ち位置から綴られている。

 

 しかし、他の曲に目を当てると、男性の目線の歌詞には、男性の劣等感のようなものが見え隠れしている。

 

愛しい人のためなら
なんでもできるつもりさ
ただそれは
君がとなりにいてくれた
ら、の話だから。
こんな歌気持ちが悪いだけだから
ああ 余裕を持って人を
好きになれる人ってこの世にいるのかな

「ら、のはなし」。

 また、

  

  

大切な人も恋も愛も
性も、どうしよう
いつまでたっても守りきれないよ
いつかは消えてしまう

 「あした世界が終るとしても」のように自信なさげな、男性が登場するのは興味深い。ただ、両曲とも映画「あした世界が終るとしても」の挿入歌、主題歌となっており、タイアップありきの歌詞づくりの結果とも言えるかもしれない。映画未視聴のため、何とも言えないが、歌詞のベクトルは先ほどの2曲とはあきらかに違い、内省的で自信なさげだ。

 「夢追いベンガル」でも、

 

裏切ったはずのあいつが笑ってて
裏切られた自分がこんなに不幸だ
ああ なんて 無様で皮肉なんだ
セックスばっかのお前らなんかより
愛情求め生きてきてんのに
ああ 今日も愛されない

と、嘆いたりする。曲調は00年代前半に流行した青春パンクにありそうだ。リア充への嫉妬の一方で、「走る」(=ロックしている)自分を鼓舞し、肯定していく展開は、峯田和伸的である。そもそも、タイトル自体がandymoriベンガルトラとウィスキー」のオマージュなのは言うまでもない。

 


あいみょん - 夢追いベンガル【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

 

 もちろん、女性であるあいみょんの男性目線は、フィクションであることは自明だ。特に歌詞に統一性がないことを指摘するのは野暮ったい。しかし、この楽曲群を聴いていて、この自信のない男性像の現れ方が気になってしまった。

 この男性像こそ、あいみょんが今後、ぶち当たるであろう壁な気がしてならない。女性であるあいみょんは決して男性性を獲得できないからである。

 

 

 あいみょんはインタビューなどで、音楽的原体験を問われると、音楽関係の仕事をしていた父親の部屋にあった音源を聴き漁ったことを語る。影響を受けたアーティストに浜田省吾吉田拓郎小沢健二スピッツと言った男性アーティストを挙げる。彼女の世代からすると世代的にそれらをデータベースとしてしか消費できていない。70年代、80年代、90年代の音楽は彼女から見れば時代性が脱構築されフラットなものとして受け止められいるのではないか。

 たとえば、歌詞面で時代性を無視したフラットさが表れているのが、初期のアルバムに収録されている。以下の曲。「象が踏んでも壊れない」、「チョベリバ」、「キボンヌ」を同じ曲中で同居させることにためらいがないのは、あいみょんが実際にこの時代を知らないからである。

 曲調に関しても同様な精神で向き合っている気がする。だからこそ24歳でありながら、古い音楽ファンを虜にしてしまうという現象が起こっているのではないか。「いい意味で●●を彷彿させる」という彼女への評は多い。

 


あいみょん「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」

 あるインタビューでスピッツの影響を聞かれ、「悔しいけれど、あるんですよね」と言った趣旨の言葉を返していたのが印象的だった。多少、理論が飛躍するが、身体的にも時代的にも決して、みずからが尊敬する男性アーティスト群に仲間入りできない劣等感が「男性目線」の歌詞に現れているような気がしてならない。「抱く」こと刹那の中にマチズモを見るも、ふと自らを省みれば、けっして父になれない劣等感に苛まれている。そんな印象をアルバム全体を通して感じた。

 吉田拓郎は『今日まで明日から』で「私は今日まで生きてみました」と疑問なく歌える。一方、あいみょんは「今日も生きているのです」(あした世界が終るとしても)と卑屈さを秘めた言い回しになる。両者には圧倒的に差がある。

 あいみょんは、成長過程。いまはひたすら、過去のデータベースと戯れながら楽曲を模索している気がする。次のアルバムまでの期間、何を吸収し曲や歌詞がどう変化のか楽しみだ。

 そして、過去のデータベースと戯れることが、もっとも得意なのは個人的には秋元康なんだと思う。次回はそこまで、詳しいわけではないがアイドル論に挑戦したいと思う。

 

 

                                                      小澤直樹

aiko論リターンズ(序)余は如何にしてaiko信徒となりし乎

1.「aiko論」→「aiko論 リターンズ」へ

僕は5年半ぐらい前に歌手のaikoにハマった。TSUTAYAで聞ける曲は全部聞いた。周囲の人には「aiko好き」を公言し、良さを伝えてきた。

 

次第にその「好き」も音楽アーティストが好きで聞いているという域から外れ、一時期は車の長距離移動中に繰り返しaikoの同じ歌を聞き、限界まで理解を深める試み(「ずっと」を4時間ずっと流した)をするなど、「aikoを極める」みたいな状態にいってしまった。

また、聞くだけでは不足と感じ、「aiko論」というaikoの歌を批評した論を周囲の人や、自分の運営する家庭教師団体の生徒たちに語ることもした(2014年夏のこと)。

これはaikoを布教する説法のつもりだったが、結果的に生徒からは、「アーティストにこんなにアツくなる人がこの世にいるんだ」「突き詰めすぎてて困惑」などの感想を頂いた。

 

実のところ昨今、aikoの創作があまり上手くいっていない状況がある(新曲があまり出せない、出てもあまりヒットしない)。

aiko自身もおそらく先行き不透明感を感じているであろう状況下で、フリークス的な楽しみ方をしてる自分はどう向き合えば良いのかと困惑していた。

意味が分からないかも知れないが、「aikoを卒業すべき時なのでは?」というペシミスティックな考えが出たりもしてきていた。

いずれにせよaikoがアーティストとして生まれ変わる時が来ているのは間違いない。そこで自分もファンとして次の段階へいく準備をしたいと思う。

そこでまずは、喋りっぱなしだった「aiko論」を再考し、文章化しようと思う。

これが「aiko論 リターンズ」のはじまりです。

 

2.aiko、ブラウン管の中で歌い、飛び跳ねる!

そこで 本項「余は如何にしてaiko信徒となりし乎」は、「aiko論リターンズ」に先駆けて、僕がaikoを知り、ハマってしまうまでのいきさつを述べるものです。

aikoを最初に見て衝撃を受けたところから、論に至るまでの動機を記しておきたいと思います。

 

僕がaikoの歌を初めてちゃんと聞いたのは、2013年の12月31日。

日付を見て頂ければわかる通り、大晦日。すなわち紅白歌合戦の日だ(CDTVを観る文化は当時の自分にはなかった。aikoを知った翌年からCDTVも観るようになった)。

 

その時の僕は例年同様、「ながら」で紅白を観ていた。

僕は毎年大晦日は紅白を観る派なのだが、そうはいってもやはり紅白は食事や会話をしながらでも見れるものだから、そんなに集中して見ない。

いろんな歌手が出ては去っていくのを横目で見ていると、ちょうど「Loveletter」のサビ終わりぐらいでaikoが歌ってるのを見た。

 

恥ずかしながら20年以上生きてきて、僕はaikoの歌をちゃんと聞いたことはなかったのだった。このときも偶然aikoの出番をテレビで目撃したのだが、aikoの歌番組に出る頻度を考えれば、いつか来る偶然がこの時に来た。

 

僕は初めてじっくりとaikoを見た。aikoはテレビ画面の中でぐるぐる回転したり、足を蹴り上げたりしていた。

好きな人はわかると思うのだが、aikoは間奏やサビ終わり、アウトロとかで、飛んだり跳ねたり、回転したり、足を蹴り上げたり等の動きをする。

とりわけ「Loveletter」はaikoの中ではロック寄りの歌で、その様な動きが多かった。

aikoが歌い、飛び跳ねている間、自然と僕は「ながら」見でなくなって、しばらく画面に釘付けになっていた。

 

aikoの歌が終わると、僕は衝撃を受けていた。

というのも、aikoの存在自体は10年以上前から知っていたのである。それこそ中学生頃からずっと売れている歌手だ。

しかし当時の僕はaikoに対してこれといった印象がなく、歌の上手いサブカルアイドル系の歌手なのか?ぐらいに思っていた。その日、紅白で見たaikoは、僕のそんなお粗末なイメージを完璧に破壊してくれた。

 

3.身体の延長としての曲 

まず、aikoは 歌が上手いだけではなかった。

自分で作曲もしていて、曲調はキャッチーで王道っぽいんだけどどこか個性的で、類似が思い浮かばない。

aiko音楽理論とか王道のコード進行とか勉強せずに、デビュー前からずっと勘で曲作りしているという。

その「勘」の根源と思われるのが、曲を作ってる時の気分とか身体感覚みたいなものだと僕は推測している。

というのも、aiko的に調子が良い時期に作ったと思われる曲はハイテンポでテンションが高く、落ち込んでたと思われる時期に作った曲は、テンポが遅く暗いものが多い。

aikoの曲はまるで、自分の身体から湧いてくるビートを音に変換してみると曲になりました、という感じだ。身体性が曲に出ていて、これが大変気持ちがいいのだ。

aikoの音楽を聴くことは、aikoの拍動や身体感覚に身を委ね、共感するようなものなのだ。

僕含めaikoのファンが、aikoを眺めるというよりむしろaikoの気持ちになってしまっている人が多いように感じるのは、この作曲の要因が大きいのではと思っている。曲を通じてaikoの気分を追体験できてしまうから、まるでaikoのことを自分のように思えるのだ。

 

4.「あたし」と「あなた」

また、 歌詞も特徴的だ。

たとえば「Loveletter」はロック調でaikoの中でもカッコいい系統なのだが、その中でも一番盛り上がるサビの歌詞が

何度も何度も何度も読み返そうか

だけどそんなに読んだらあなたは嫌かな

何度も

体に入ってくる言葉が苦しい

AIKO「Loveletter」より

である。歌詞が内省的かつ後ろめたく、普通に考えると曲調と合ってない。

さらに、個人的な感想に寄りすぎてもいて、視聴者に共感させるという「売れ筋」の基本から外れてるようにも思う。

しかしながら、実際に聞いてみると、この歌詞がハマっているのだ。

 

そもそも、aikoはどんな曲調であっても歌詞は基本的に同じパターンしか書かない。

1人称の「あたし」、自分の経験を題材、「あなた」に対する恋愛歌

これだけだ。

オリジナル曲が100はくだらなくあるはずだが、本当にどれもこの型に準じている(たまに例外もある)。これで20年売れ続けているのは、もはや異様だ。

野球に例えれば、ストレートしか投げられないのに、20年間最多勝争いしている投手みたいなものだ。強すぎる。

 

一見暗い歌詞ではあるのだが、それが1人称の「あたし」の本当の感覚である以上、むしろ正解なのだ。それを自分の身体感覚から湧き出てくるメロディにのせた時、aikoの世界が立ち上がるのだ。

このようにして、aikoの楽曲はあべこべでも不思議な調和が生まれる。他には真似できない独特の雰囲気であり、一度聴いたら耳に残るゆえんでもあると思われる。

 

4.「動物的きらめき」

紅白でaikoが僕を魅了したのは歌だけではない。

飛んで跳ねての動きも印象的だった。

自分の身体由来の曲に合わせて踊り、自分の身体の拍動を上げていく。

このエネルギー状態は尋常でないものがあり、強いて例えれば南の島の異国で行われる夜祭りで踊ってる島民のような生命の高まりを感じさせる。

aikoが歌って踊るのを目の当たりにするとそのエネルギーに捉えられ、目を背けられないのだ。

 

※身体、身体と繰り返してしまったため、aikoは身体性だけで音楽をやってて理智がないように伝わってしまうかもしれない。そうだとしたら誤解であり、aikoは卓越した比喩の使い手だ。平安時代歌人みたいだ。比喩によって、自分の個人的かつ日常的な話題を歌に昇華している。ただしインテリ系っぽい難解な言葉遣いはできず、平易で親しみやすい言い回しをするので見逃されがちだとは思う。詳しくはaiko論の本論で。

 

5.そして「aiko論」へ

さて、初めてaikoを見た時の衝撃の感想を、曲、歌詞、動きから説明した。

まとめると「こんなすごいとは思わなかった」という感じだ。

そして、すごいだけでなく、曲のところで述べたように、aikoの感覚に共感して曲に乗って楽しんでいる自分がいたのだった。

これはもっと聞かねば、と思いファーストアルバムから順々に聞いていったのだ。レンタル店で借りて聞ける曲は、おそらくすべて聞いた。聞けば聞くほど、aikoの卓越した作詞センスや曲調に驚いた。

 

ただし、aikoデビュー時から順々に聞くにつけて、自分の中で引っかかるところがあった。aikoの作風みたいなものが、キッパリと分かれる時期があるのだ。当時、2014年初め頃には、aikoの創作史を3つの時期に分けられるような気がした。

 

aiko論はaikoの楽曲をこの3つの時期に分けて批評しながら、aikoの感覚にせまるというものだ。aikoの醍醐味はやはり、歌自体を楽しむだけでなく、歌を通してaikoの感覚を知ることにもあると感じている。

その楽しみ方の前置きとして、以上の前文を書いたと言って過言でないと思う。

さて、前置きはこれぐらいにして、aiko論リターンズを書き始めようと思う。

一曲一曲、聞きなおしていくつもりだ。がんばるぞ!

 


aiko-『Loveletter』(from Live Blu-ray/DVD『POPS』)

【第1回講演会】のご案内

 大変お世話になっております。ヘルベテ理事の茂木です。  ヘルベテでは今年度の締めくくりとして、3月に講演会を催します。  初の講演会となる今回は、「学校教育と現在のわたし」をテーマに、パネル・ディスカッ ションとグループ・ディスカッションを行う予定です。  ヘルベテには学生から社会人まで、多種多様な方が関わって下さっています。普段であれ ば関わりのない領域・立場の人たちと価値観を交換することで、皆様の「学び」のきっかけ を創れたら幸いです。  堅苦しくなく参加者の方々が語り合える場となればと思っております。  ぜひ、お気軽に足をお運びください。

● 日時:2019/3/10㈰ 14:00~16:30 ● 場所:cafeあすなろ:​ http://cafe-asunaro.com/​ 群馬県高崎市鞘町73 JR高崎駅西口より徒歩5~10分 

● ドリンク代:大人700円、学生500円 ※講演会の参加費用は無料となっています。 ※お申込みの際に、注文されるドリンク2つを併せてお教えください。 (詳しくは下記「参加お申込み」参照)。 ※学生はドリンク代に学割が適用されます。​参加の際は学生証をご持参ください​。 学生証が無い場合は、ドリンク代が700円となります。

● 定員:30名

● 次第【前半】パネル・ディスカッション 【後半】グループ・ディスカッション ● 参加お申込み 【QRコードからのお申込み】 右記のQRコードを読み取って頂き、表示されるお申込み フォームに必要事項をご記入してください。 お申込みを確認後、受付メールをお送り致します。

【メール等によるお申込み】 ①氏名 ②ご連絡先 ③ドリンクの注文(2つ) 以上をご記入の上、下記連絡先へお申込み下さい。 mail) ​ info@tutor-helvete.org ℡) 080-1047-9173(茂木)※口頭でお伝えください。 LINE) odekki
https://goo.gl/forms/TQ0cXPXdfhbxOaKi1
または上記のフォームからお申し込みください。

※お申込み期限は3/1㈮とさせて頂きます。 ※お申込みの際に、ドリンクの注文(2つ)の記入のご協力をお願いしておりま す。種類はコーヒー、紅茶、ココアの3種、それぞれホット・アイスを選べます。 1つ目と2つ目が別の種類でも構いません。 2つ目のドリンクは前半と後半の間ぐらいで来る予定となっています。 ● アクセス 電車の場合:JR高崎から徒歩5~10分で来られます。 お車の場合:お店の近くのコインパーキングにお停め下さい。

 ご不明な点がある際には、上記連絡先までお気軽にお問い合わせください。 皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げております。

                            ヘルベテ理事 茂木草介

理事紹介~あいさつにかえて~(茂木理事)

 こんにちは。ヘルベテ理事の茂木草介(もてきそうすけ)です。
 ヘルベテでブログ記事の配信がはじまったということで、生徒や高校生に伝えたいことをあらためて書きたく思います。
 生徒たちに何を伝えたいのかと考えたところ、思い浮かぶのは、健康に生きていって欲しいとか、インフルエンザには十分注意して予防に努めて欲しいとか、上手くいかないことがあっても悲観せず、長い目で見て逞しく生きて行って欲しいということでし。これらが率直な思いです。
 あとは勉強の他に余力があれば、他人に対して「自分はこういうのが好きなんだ!」と表現できる力を養って欲しいですね。

 「自分は〇〇が好きだ」と言う人に対して、なんでそれが好きなの?と聞くと、「そんなことは考えもしなかった」と返答されることが多いと感じます。自分の好きなものって、その人のとても個人的な意見。つまり、主観的なんです。個人的な意見・感想をうまく他人に伝えるのが高校生年代は苦手な印象があります。

 「好きなもの」の理由を自覚しようとすると、自分の好き嫌いの判断基準、つまりは価値観について考えなくてはなりません。その作業はその人の「自分らしさ」を構築することに繋がるんじゃないかと思っています。

 こう言うのは簡単ですが、実際のところ自分が好きなものについて考えること・伝えることってそう簡単ではなく、うまくいかないものだと思います。僕もいろんな場面で難しく感じます。言葉にならない気持ちだってありますしね。
 だからこそ、もっと伝えたい!と思うと言葉を知らなくてはならないことに気づきます。これは読書をしたり勉強したりするきっかけとなると思います。
 また、自分の意見が生じてくると、別の意見を持ってる他者と意見を言い合うこともできるようにもなります。つまり、自分の意見を持つことで、他人の価値観もを知るきっかけも得られると思うのです。そうすると、相乗効果で自分の感受性がどんどん高まり、もっと洗練された「自分」を持てるようになることもあると思います。
そういうわけで、時間のあるときに自分が好きなものについて考えてみたり、誰かと語り合ってみたりすると良いかもしれません。

 

ただしくれぐれも、勉強第一で。

                                  茂木草介

インターネット家庭教師集団ヘルベテ - 新しい学びの場へようこそ

 

理事紹介~あいさつにかえて~(秋山理事)

 はじめまして、NPO法人ヘルベテの理事を務めている秋山です。東京でIT/ゲーム関係の仕事をする傍ら、ヘルベテで経営面やIT関連のツール導入/運用などに携わっています。
あいさつがてら、「高校生へ伝えたいこと、をテーマに一筆したためてくれ」というテーマで執筆するためにパソコンの前に座っているのですが、ほとほと困り果ててしまいました。なにせ僕は高校生のみなさんが日々どのように生きているのかをまるで知らないのです。
 僕が高校生の頃は既に携帯電話こそ普及してましたが、まだスマートフォンはありませんでしたし、流行り廃りを含めて情報のスピードも今ほど早くありませんでした。そのため今の時代に10代を過ごす方々とは状況がいろいろ変わってるのではないかと思います。
 例えば、僕が幼い頃は友人と休日に遊びに行く場合には事前に「待ち合わせ場所と時間」を決めておき、当日は相手が来るまでやきもきしたものです。その後、携帯電話が普及し、待ち合わせ場所や到着時間はすぐに連絡できるようになりました(これは僕も経験しています)。今となっては待ち合わせに間に合う間に合わないに問わず、到着確認のLINEがなかなか既読にならないことを憂うような文化圏もあるようです。便利なことはものすごく増えたでしょうが、それに伴って苦労することも同じくらい増えているのではないでしょうか。
 といっても、僕がみなさんの生活を知らないのと同じように、みなさんも十数年前に10代を過ごしたことがないでしょうから、過去と相対的にどういう楽しさや苦労があるかを挙げるのは難しいですよね。なので高校生のみなさん、機会があればいつか、あなた達が今をどう生きているのか僕に教えてください。知らないから、知りたいのです。どんな便利なことを享受していて、どんな苦労があるのか。どんなことに喜んで、どんなことに憤ったのか。そんな話を僕に教えてください。そうして僕に学びを与えてもらえると嬉しいなと思います。
 改めてこの乱雑な文章を読み返すと僕が高校生のみなさんに伝えたかったことは、「高校生から見た大人にも知らないことはたくさんあって、そして知りたい(学びたい)と考えている」ということだったのかもしれませんね。
 学びに終わりはありません。僕たちヘルベテもインターネットという現代の情報通信技術を通じて学習のサポートをしていますが、その本質は「物理的な距離を超えて人と人が交流し、相互に学びを得るために活動している」ということなのかなと考えています。もしこれを読んでくださったみなさんがヘルベテに興味を持ってくださったら、その時は一緒に学びましょう。僕たちの知っていることをお教えするので、あなたたちの知っていることを僕たちにも教えてもらえたら、きっとお互いに素敵な学びが生まれると信じています。
 最初から堅苦しい投稿になってしまいました。今度は僕の大好きなドラえもんの話でもしようと思います。ではまたお会いする日まで。
                        

 

 

 

 

 

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遊びをせんとや生まれけむ(2)大阪港~上海

  出発日の7月20日、大阪港フェリーターミナルについたのは午前9時ごろでした。
 最初の目的地を上海と決めたのは、別に上海に何か特別な思い入れや興味があるからというわけではありませんでした。私は飛行機をなるべく使いたくなかったため、大阪発〜上海行のフェリーに決めたのでした。空を飛ぶのが怖いということも多少はあったかもしれませんが、それよりも私の心を占めていたのは、距離を五感で感じてみたい、という思いがありました。自分が住んでいる場所から、外国まで、どのくらいの遠さがその間に横たわっているのかを、自身の感覚で理解したかったのです。
  
 新しく見えるのに、どこか薄暗くがらんとした待合室の大きな窓からは、これから乗ろうとしている船の横腹がすぐ近くに見えました。青いタラップに、「蘇州號歡迎您」(蘇州号はあなたを歓迎します)と大きく書かれているのを確かめて、これが自分の乗る船だと思うと、安心するのと同時に、心細いような、憂鬱なような気分になりました。大小二つのバックパックを床におろし、クッションにところどころ穴の空いたベンチに腰掛け、財布、腰巻ベルトを確かめ、パスポートとチケットを確かめても、その気分は過ぎ去りません。いまならまだ引き返せる、どうやってここから逃げ出そうか、とさえ考え出す始末です。まっさらなパスポートをページをめくりながら、「本当にこのまま現実から逃げ出すような旅行に出てしまっていいのだろうか…しかし逃げ出すための旅行から逃げ出した先はどこにたどり着くのだろうか…」などと、行き場のない考えが頭で繰り返されていました。

 
 そのとき、不意に声をかけられました。「あなたも、のる?」柔らかな女性の声でした。振り向くと、濃いサングラスをかけ、長い黒髪を後ろに流した50代くらいに見える女性がいました。口元の微笑みが、美しい皺を描いています。とっさに声が出ず、二、三秒ののちに、
「は、はい」とだけ答えると、
「そう、がんばる、のよ」
そう言ってベンチから立つと、その女性は少し離れたところに立っていた短髪でガッチリと体躯の男性のところへ歩いて行きました。あっけにとられて二人の方を見ていると、やがて流暢な中国語の会話が聞こえてきました。二人は夫婦のようでした。
ふと顔を上げてあたりを見回すと、いつの間にか待合室は随分混み合ってきていて、辺りにはさざめきのような、自分の耳にはわからない異国語に満ちていました。船に乗る前から、ここはもう中国だったのでした。

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 出国審査の列に並び、タラップを昇ってフェリーに乗り込むまではあっという間でした。私のチケットは一番安い雑魚寝部屋のもので、部屋には灰色のカーペットが敷かれている他は、隅に布団や枕や毛布が積んであるだけです。左の壁には丸い窓がはめ込んであって、港の向こう岸に立ち並ぶたくさんのクレーンが見えました。その景色が、かすかに、ゆっくりと上下して見えます。船が波に揺られているのです。
ふと周りを見ると、同室の人々もまた、窓から外をのぞいています。出航を前にして、誰もが少なからずわくわくしているようでした。振り返ると、5歳くらいの男の子が、胸の前に小さなリュックを抱えて立っています。彼も外の景色を見たいのでしょう。場所を譲ると、嬉しそうに駆け寄ってきて、私や他の乗客と同じように一生懸命に外を眺め始めました。
「何が見える?」と私は聞いてみました。
窓から目を離して、男の子は不思議そうな目でこちらを一瞬見つめました。そして、パッと駆け出したかと思うと、通路側の床に早くも布団を敷いて寝ていたお父さんらしき人に飛びつきました。二人の中国語の会話が聞こえてきます。お父さんの大きな体に隠れて、彼がこっそり私の方を伺っているのがわかりました。目があって笑いかけると、またさっと隠れてしまいます。

 船が動き出した後、甲板に上がってそこからの景色を見ながら、井上武士の「海」という歌を思い出していました。

うみにおふねを うかばせて
いってみたいな よそのくに

 船は徐々に速度を上げ、大阪港はみるみるうちに小さくなって行きます。いままさに自分は「よそのくに」へ行こうとしている、もはや引き返せない。逃げ道をいくら考えても無駄なことだ。そう思うと、奇妙なことに、かえってさっきまでの不安が和らいでいくのを感じました。そして、かわりにかすかに愉快な、笑いたくなるような感じがやってきました。私は調子っ外れな「海」を口ずさみながら、真夏の強い日差しと吹き付ける潮風の中、港のあった風景がどんどん小さくなってゆくのをしばらくの間見つめていました。

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麦わらの帽子の君が の「の」。

 昨年の大みそかのこと。紅白歌合戦をボケーっと見ていると、「あいみょん」という女性シンガーソングライターが出場していた。ここ数年はあまりドラマなどを見ていないので正直、どんな方か存じ上げていなかったが、名前からの響きからして、

  1. 地下アイドル?
  2. 頭が緩そうなギャル系の女性?
  3. ネット動画発の歌い手?

 だろうと予測し、特に興味を抱いていなかったが、順番になると良くも悪くもその辺にいそうな若い女性がテレビに映る。演奏前のトーク情報によると、広瀬すず白石麻衣乃木坂46)らも彼女のファンであるという。どうやら若い女性に人気らしい。

 いでたちから想像するに、Miwaとか大原櫻子とかのような、アコーステックギターを弾きながら、イマドキの女子大生的な恋愛の歌を歌う姿を想像した。
 
 楽曲「マリーゴールド」が始まる。
 イントロのエレキギターとシャープなアコーステックギターの絡み合う編曲。清涼感とメロディーラインは90年代のj-POPを彷彿とさせ、ノスタルジックな感覚に陥った。スピッツとかマイリトルラバーの曲を聴くような。
 特にサビ

麦わらの帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる

 の部分は強烈に頭に残った。歌詞を注視すると「麦わら帽子の君」ではなく「麦わらの帽子の君」と歌っている。この方、天才的だなと思わずうなってしまった。麦わら帽子と麦わらの帽子、この違いはいったい…という違和感を感じる人もやはりいた。

 

 おそらく楽曲を作る際、メロ先で作られるだろうから、歌詞の音数を合わせるために麦わら「の」帽子 という意味の上で揺れがでない助詞を挿入したということなのだろう。ただ、そう考えると別に「あ~麦わら帽子の君が揺れたマリーゴールドに似てる」でも、大差ないように感じる。大サビ部分は

ああ アイラブユーの言葉じゃ
足りないからとキスして

 となっている。この違いって何なの?って考えてみる。「麦わらの帽子の」の部分の歌詞は歌中で映像的な箇所である。そうすると、麦わら帽子と1単語、1文節にするよりも、麦わらの帽子と2文節にすることで、(麦わらという)素材→(帽子の)形と聴き手側への情報伝達がゆっくりと進み、「麦わらの帽子の君」が鮮明に頭の中で立ち上がる。そのことで、「揺れたマリーゴールドに似てる」という次に来る歌詞も印象的に残る、といった流れになっているのではないか。歌詞の映像としての立ち上がりが見事すぎる。逆に「アイラブユー」は、感情に属する言葉なのでそれを強調するためのオノマトペ「ああ」で構わない。

 

  ・・・みたいなことを、元旦の一日かけて考えていた。自分の中で答えが出てスッキリ。

 

 その後、松の内中はあいみょんの楽曲をヘビーローテーションし、インターネットでの情報収集に勤しんだ。

 各方面で「女子学生の共感で人気になっている」という論調で紹介されているが、おそらく、このあいみょんの楽曲にはそれにとどまらず、世代を越えて伝わるパワーがあると思う。

 

 女子学生の共感を持つであろう、彼女自身の本音っぽい歌詞の曲はいくつかある「どうせ死ぬなら」、「貴方解剖純恋歌~死ね~」などだ。これらの楽曲を聴くとその層から真っ先に人気が出たことが頷ける。「死ね、私を好きじゃないのならば」、「どこ見てんの、胸の谷間なら私にもあるし」…あまりにも赤裸々な心情描写が「西野カナ」とかになんとなくのれない女子の心に突き刺さるのだろう。ただ、この作詞の方向性はどこかで、届く限界を迎える。

アラサー男子の私には、正直「女子中高大生の自意識語り」は、それほどまでに刺さらず、過去に聴いた大森靖子倉橋ヨエコと同系統の印象しか残らなかったはずだ。女子中高大生の自意識を代弁するアーティストは各時代時代にいたはずだ。

   しかし、あいみょん がこれらのアーティストと一線を画すのは、歌詞のアプローチの広さである。自分を赤裸々に描くアーティストは常に等身大の自分が限界になる。20代になるにつれ、思春期的な歌詞には無理が出てくるだろうし、メジャーデビューに際して、より大衆的なヒットを狙えば、「あなたに会いたい」、「失恋して悲しい」としか実質的に言っていない薄い歌詞になり尖りがなくなる。

   だが、あいみょんにはそういった行き詰まりを乗り越えていると思う。それは何か。「他者目線に立つことの圧倒的なうまさ」である。彼女はもともと他人(他者性)を描く引き出しが初期から多い。特に楽曲の一人称を変えることで、等身大の自分とは全く違う世界観を持つことに成功している。赤裸々さでなくフィクションを描くことによって自分を乗り越えた自由な作風を可能にしている。 男女の双方の視点が交互に歌われる「分かってくれよ」や大人の男性の心情を描いた「ほろ酔い」などの佳作が多くある。

 


あいみょん - ほろ酔い [slight intoxication]

    そして、メジャーデビュー曲にして自殺した少女を歌った衝撃作「生きていたんだよな」は、少女の思いを推測しながら、湧き上がる自身の感情が見事に表現されており、彼女の他者への想像力の高さを感じさせ大傑作だ。

  


あいみょん / 生きていたんだよな [Live]

 話を「マリーゴールド」に戻す。「麦わらの帽子の君」。いまどき青年誌のグラビアでしかないような空想上の美少女的アイコンが出てくる世界観である。赤裸々な曲ばかり歌っている彼女であったならばこの、ロマンティシズムとノスタルジック全開の路線に、違和感を感じる人もいたかもしれない。しかし、等身大の自分からさえも自由になっている彼女であるからこそ、このような普遍的なロマンチックを探究した描写が可能になるのだろう。

    J-popの最大公約数的な「みんなこんな風なのが好きなんでしょ」ではなく「私はこれが美しいと思うの」その表現を突きつけられていたと感じたとき、私の心はそれに同意したのか、ふと泣きそうになっていた。

    ちなみにマリーゴールド花言葉が「絶望」であることを留意して聴くか聴かないかで、悲しい歌にもなり、希望の歌にもなる。あいみょん自体は花言葉の件は完成後に知ったらしいが、聴き手に解釈が程よく委ねられ、懐の深い名曲だなと感じる。

 

 

小澤直樹

 

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