インターネット家庭教師集団ヘルベテ ブログ

インターネットと無料通話アプリを利用して学習支援をしているNPO法人「インターネット家庭教師集団ヘルベテ」のブログです。 公式サイト https://www.helvete-tutor.org/

第1回 NPO法人インターネット家庭教師集団ヘルベテ講演会 書き起こし

テーマ  「あなたにとって『学ぶ』とは?」

NPO法人インターネット家庭教師集団ヘルベテ主催 

2018年3月10日 

群馬県高崎市 cafeあすなろ

 

〈司会&ファシリテーター

茂木草介代表理事 
<パネラー>
NPO法人ターサ・エデュケーション理事長 市村均光 氏
・たむろ荘代表 本田美咲 氏
早稲田大学 教育学部 教育学科3年 阿部友樹 氏(元ヘルベテ生徒&教師)

 


開会にあたり理事長挨拶 (小澤直樹):本日はお集まりいただきありがとうございます。さて、当団体にとって初めての講演会事業。テーマが学ぶということで、私も少し考えてみました。私は普段、記者をしているのですが、ある日、そば屋を取材していたところ、(もりそばの)汁のつけ方を教わったんです。その店員が言うには「江戸前は味が濃いので、汁には麺の一部分をつける。うちの店は長野県安曇野風なので、麺を汁にどっぷりとつけるのが作法なんだよ」と。私はそれまで、そばの食べ方なんてあまり意識したことはなかったので一つ学びました。昨今はグーグルで検索するば大概の事は調べられる時世です。しかし、グーグル検索は自分が関心のあるキーワードしか検索窓に打ち込めない。そう考えると、学びは見知らぬ他者が与えてくれるものなのかなと思います。こうした些細な学びの経験がより人生を豊かにするような気がします。今日お集まりくださった皆さま。パネルディスカッションの後には、各テーブルごとでの意見交換のパートも設けています。どうかこの会を通して、他者からの新しい視点を少しでも獲得して帰っていただければと思います。それでは、お楽しみ下さい。

 

茂木:いやぁ、小澤さん校長先生化してますね~(開場:笑)。それでは、早速、本日議論していただくパネラーの3名から自己紹介をよろしくお願いしたいと思います。(簡単な自己紹介と、最近困っていることという題が課される)


阿部:24歳、ちょっと遅めの大学3年生をやってます阿部です。出身は群馬県で、今は東京都の小金井市に住んでいます。学生として学業に加え、就職活動、インターン、アルバイトなどをしています。大学1年時は教師活動などでヘルベテに深く関わらせていただきました。サークル活動では、更生保護に関する活動に関わっていました。更生保護活動では非行少年たちと遊ぶなどしていました。現在はサークルを引退し、教育系の会社でインターンをしています。趣味はアニメとか音楽とかサブカルが好きです。これがあれば生きていけるんじゃないかとも思います。
 振り返ると、僕はまっとうな生活をしてこなかったので社会的に評価される部分とされない部分があります。その狭間で最近は悩むことが多いです。よろしくお願いします。

 

本田群馬県玉村町で「たむろ壮」というシェアハウス兼フリースペースのようなところを運営しています、本田美咲と申します。年齢は23歳です。出身は長野県です。普段はたむろ壮の店番をしたり、畑仕事に精を出したりしています。大学3年の時にたむろ壮になる物件を購入し修繕していました。フローリングを貼ったり、壁紙をはがしたりと大工のようなことをしていた生活でした。大学は群馬県立女子大の美術史学科で「アートマネージメント」を専攻していました。その学科ではアートとまちづくりの関係性を考えるといったような授業が多く、地元の玉村町に行き、イベントを企画し、参加するといった4年間を過ごしました。
 最近、知り合いのものまねをしたいなと思い、人の口癖とかをよく聞くようにしています。困っていることはあまりないんですが、物忘れがひどいくなってきたかなぁ…と、(開場:笑)。
 ヘルベテは茂木副代表がたむろ壮に遊びに来てくれたのをきっかけに関心を持ちました。今日は楽しみです。よろしくお願いします。

 

市村NPO法人ターサエデュケーションの代表を努めています。普段は市役所職員をしています。また、NPOでは、児童養護施設の子ども達の学習支援や、前橋市不登校児のフリースクールを運営しています。僕は目下、10歳と7歳の子どもの子育て中。また、PTA連合会の役員もしています。困っていることはそういった日々の活動の時間管理ですかね。28歳から子どもに関わる活動を始めたのですけれども、学生時代から教育に関心があったかと言えばそうではなく、アルバイトと麻雀三昧の学生だったわけです。けれども、学生時代に子どもができそれを機に結婚をしました。そういった困難を乗り越えて今の僕があります。
 最近はボランティアの学生と関わる機会も多いです。今の学生はアニメが好きなんですね。僕は昨日、コードギアス(※サンライズ制作のオリジナルロボットアニメシリーズ・06~)を半年間かけて全50話を観終わりました。もし会場に知っている方がいらしたらその話で盛り上がりたいなと思います。今日はよろしくお願いします。

 

茂木:群馬に住んでいる方なら市村さんの名前は何処かで見ているというぐらい、いろいろな活動をされてて、見習わなくてはと感じている次第です。ちなみに僕はコードギアスは2日で観終わりました(会場:笑)。忙しさが対極だなと感じるんですけれども(笑)。(作中の一つのテーマである)組織の中から変革していくのか、外から変革していくのかというのはヘルベテにも通じる課題だと思うので、いろいろお話しをお願いします。
 では、ディスカッションに進ませて頂こうと思います。率直なことをお聞かせください。では、①「あなたは普段どんな時に学びを得ていますか?」ですがどう思いますか?
聞いておいて、自分の意見を言わないのもなんなので、少しコメントします。学びとか勉強というとたくさん本を読むとか、知らない情報をインターネットで調べるとか、英会話の勉強をするとかが挙がると思うのですけれども、僕はそんなにしていなくて、最近は読書量も減ってしまっています。しっかり読みたいなと思うところではあるのですけれども。それでも、やはり学びを感じるなと思うことがあって、例えば、みなさん10年程前に流行った「ミクシィ(※ソーシャル・ネットワーキング・サービス のひとつ)」って知ってますか?あれって、フェイスブックツイッターと違って純然たる日記サービス型のSNSなんですよね。最近、本田さんから「ミクシィで改めて日記を書いてみるといいんだよ」と言われて、書き始めたんですけど。自分の日記をつけると、人生変わるぐらい、日々がいい感じになっていると実感するんです。自分の生活を改めてみるって学びなんだなと思っています。本田さんとマイミク(ミクシィ上での友達のこと)なんですけど、本田さんの日記を見ると「あ、本田さんこんなこと考えて、こんなことしてるんだ」ってのも学びになるんですね。学びってのは単に言葉の選び方なのかもしれないですけど、それが生活を豊かにしてくれる実感がありますね。生活の中で少し自己や他者に意識を向けることで、学びがあるというか…。僕からはそんな感じですがパネラーの皆さんはどうでしょうか?

 

阿部:全体的には今、茂木さんが言ったことと、小澤さんがあいさつで言ったことと同じですね。小澤さんがしゃべった時に話したいこと、めっちゃ言われてしまったと思ったんですけど(笑)。
 僕は(不登校経験があり)学校で学ぶような勉強はそんなにしてこなかった人間なんですね。がっつり勉強をしたのは浪人時代の1年半ぐらいです。しかし、普段、いろいろなところに学びがあると思っていて、例えば、(目の前の机を指す)この、机がどんな素材でできているのか知らないんですが、それを知るのもまた学びかなと思っていて、要するに自分がどこに焦点を当てるのか。それで学びは変わるのかなと思います。身近な例ですが、今僕のアルバイト先は3分の1がベトナム人なんです。昨日、教えてもらい、ベトナム語で自己紹介ができるようになりました。そんな感じで世の中に学びがあふれていると思います。そして、自分が世の中に対してどういう情報を得たいのかアンテナを張ることによって、学びの質が決まってくると思います。僕は教育、アニメーション、音楽に関心があるので、その情報が入ってきた時に学びを感じますね。
 また、それとは別に、自分では、絶対に気づかない学びがあると思うんですね。さっきの小澤さんの話ではないですけど…。たしかにそばの食べ方って人から言われないと意識しないですよね。僕も就活で言葉遣いがおかしいとか指摘されます。自分が意識してないことは自分では学べないんですね。そういったことに対しては環境を変えたりとか、新しい場所や人と出会うことで、得るものがあるのかなと思います。正直、過去の僕は、そのことを認めたくなかったんですね。「俺は一人で得られるものを得るんだ!それで世界を征服するんだ」みたいな部分があったんです(笑)。けれど、やはりそれだけでは、学びにならないんですね。やはり人と関わることで得られることは多いですね。

 

本田:普段生活する中で、自分が試したときと人の話しをよく聞いたときに学びがあるなと感じることが多いです。試したことは…そうですね、自分がどれだけお酒を飲めるかって飲んでみないとわからないじゃないですか?牛肉を二日連続で食べると体調が悪いとか、自分のことを知るためには試さないと始まらないわけで、いろいろなことを試したときに学んでいるなと個人的には考えています。たむろ壮を運営していると、フローリングってこうやってはるんだとか、普通に女子大生をしていたのでは分からないわけなんです。いろいろ試したから、いろいろ学べるんです。
 人の話をよく聞くと、この人はこんな風に考えているんだとか、この人は自分と違うけどなんでなんだろうとか、考える機会が多くありますね。人の話をよく聞いていると、もちろん、学ぼうと常に意識しているわけではないんですけど、結果としてハートウォーミングだなぁ、感動したなぁと感じた時に、なぜ自分はそう感じるんだろうと考えると、何か学びがある気がしています。

 

市村:さっき阿部さん、小澤さんがおっしゃってた話がピンと来ていて、自分の当たり前だと思ってたことが壊れた時に新しい学びがあるのかなあと感じました。
 僕は常々、結果を出した後に学びは生まれると思っています。それは成功とか失敗に関わらずです。成功すれば「こうすればうまくいく」という学びがあるし、失敗した時にも、「頑張って努力したけど上手くいかなかった」って経験から「あれをやっとけばよかった」ってことがあると思うんですよ。そういった時に私の中では学びがあると思います。結果を出すため必要なのは、新しいことに挑戦すること、努力することだと思っています。僕も28歳から現在のNPO法人をやっていて、僕も阿部さんのように、孤立を好むというか、独りよがりの人間だったんですけれども、実際に人を巻き込んだり関わる中で新しいことや必要なことがどうしても出てきて、そこに本当に苦労して、悩んでいます。そこで、諦めずに踏ん張り、やりたいことのために乗り越えると、何か新しい学びと言いますか自分の中で落ちてくるものがあると思います。
 わかりやすい学びというと、読書が学びにつながると思っているのですけれども、ただ、やみくもに読むとあまり効果がないと思っています。たとえば、10年前に読んだ本が今読むとすっと入って来たりする経験があります。本を読むタイミングもすごく大事だと思います。アンテナが立っている時に入ってくるんですね。つまり、いろいろなことに触れておくことが大事で、その触れておいたものが、ある時に自分の中にすっと入ってくる瞬間がある。それが学びだと思っています。

 

茂木:ありがとうございました。何か各パネラーから他のパネラーに意見や質問はありますか?

阿部:僕は学業的な学び(例えば学校で習う算数国語理科社会といった教科・科目的な学び)はあまりしなかったのですけれど、普段の学びの中で、学業的な学びの大事さや比率を数値的に表すとすると、それってどれぐらい大事なものになりますかね?

 

市村:(数値化するのはなかなか難しいが)学業的な学びも大事だと思っています。なぜかというと、今の社会の構造的にそれらが必要な事実があるから大事だと思っているだけなんですね。例えばヘルベテさんの家庭教師だって学業的な学びがなければできないわけです。僕自身も学習に関して時間を費やした経験はあまりないのですけど、学習は目的があった時に使える手段かなと思います。その人のステージや場所によって変わってきてしまうことなのかな。今現在、僕自身が数学できるようになったり、現代文ができるようになったりすることは僕の中でのウェイトは大きくない。けれども、僕の関わっている子どもたちのことを考えると、文字が読めなかったり、計算が出来なかったりすると、自分で参考書を読んで勉強することがそもそもできないので、基礎学力を定着させることは重要なんじゃないかと思っています。

 

茂木:僕も意見を挟みますが、阿部くんは中学校ぐらいから不登校だったんですよね。彼は「18歳ぐらいの時、中卒でも生きていけるやり方ってないか」と考えていたそうなんです。そして、過去に「中卒でも生きていける術を学ぶために大学の教育学部に行って学ぶんだ」と話してくれたことがありました。それが印象に残っていて、その問題意識って共感するところがあります。阿部くんは昔も今も阿部くんなんですが、やはり、これが基本だよ!みたいなこと、例えば足し算や、日本のおおざっぱな歴史とか、それがわかってないと自分らしさを出す俎上に立てないような気がしています。僕なりの解釈ですがその俎上がないことに当時の阿部くんは苦しんでいたところがあるんじゃないかなと推察しています。その問題っていうのは、多かれ少なかれ、ヘルベテに来ている高校生にも当てはまるところがあって、ちょっと俎上がありさえすれば、この子はすごいのにって思うことが多いです。学校ではひとりひとりを見れずに、この子は「だいたいこんなものだろう」って当てはめられて、子ども自身が「大人がそういうんなら自分はそうなんだろう」って思いって、そのまま学校生活を終えてしまうって子が多くて、もったいないなと感じます。基礎学力や教科的な学びは手段なのかもしれないですが俎上に上るためには絶対に必要なものなのかなと思いますね。言い過ぎたかもですね。本田さんは率直にどうですか?

 

本田:なるほど、と思うことばかりです。自分も受験勉強や高校大学の勉強で救われたなと思うことが多いので、何パーセントが重要なのかとか考えたことがなくて、そういう風に思う人もいるんだなぁと思いました。

 

茂木:大学で美術を専攻したということですが何か、大学で学んで変わったこととか成長したことってありますか?

 

本田:高校の時は西洋美術について学びたいと思ったんですけど、大学に入ってから興味がなくなっちゃったんですよ。アートマネージメントとかヘンテコな分野を専攻していたんですけど、それは良かったなと。「西洋絵画なんて」って言ったら失礼ですけど、普通に専門書とか読めば学べることって多いんですよね。そういうところじゃないところに興味が向いたのは、数学やら高校時代の勉強の積み重ねがあったからだと実感していて、勉強しといて良かったなと思っています。

 

茂木:聞いていて古代ギリシャの哲学者、プラトンの話を思い出しました。プラトンの下には、多くの哲学をやりたい人が訪ねてくるんです、しかし結局、哲学はやってみないと分からない。やってみて初めて哲学というものがわかるから、みんながみんな期待したものがあるわけじゃないぞ、という場面がある。ざっくりいうとそんな内容なんです。やってみることがすごく大事なのかなと。では時間なので、ここで会場から質問はありますか?

 

会場から質問(T氏):市村さんから、そもそも字を読んだりとか、計算をしたりすることができないとその先にある学びにたどり着きようがないといった話があったかと思います。その中で「学習」という言葉が出てきました。しかし、今日のテーマは「学び」ではないですか。「学び」と「学習」って意味が被っているようで私たちは無意識に使い分けているのですけれども、その違いはどこにあるのでしょうか。

 

市村:難しいですね…。(しばらく考えて)。学びというと先ほどから議論で出ているとおり、「前提が壊れる」といったニュアンスがしっくり来ています。一方で「学習」というと、俎上を作るためのものかなと思います。おそらく、いろいろな人と会うことで得られるものってあるんですね。しかし、そのときに自分の中に情報や知識が積み重なってないと気付けないものも絶対あると思っていて、積み重ねたものが学習に当たるのかなと思います。

 

T氏:そうですね。学び、学習とも全く別のものではないと思います。俎上がないと先に進みようがないとも思います。ただ、今の議論を聞いていて思ったのは、ヘルベテに来るような高校生たちに、同じ質問をしたらどんな答えが返ってくるんだろうなって…。すこし思ってしまって。


市村:私もNPO活動の中で児童施設やフリースクールで学習支援を行っていますが、彼らの場合は学習が何につながっているのかが分かっていないと、動機が持てずに学習意欲につながらないんですね。目的設定を作る意味でイベントや就業体験を企画しています。

    僕たちは子どもたちに自立のための機会を提供しているので、学びというよりも、学びを得られるようにするための学習を提供しているといった感じですかね。

 

T氏:(市村さんが見ている子どもさんが)「学び」を感じることがあるとすれば、それは学習したことが就業体験を通じて腑に落ちた瞬間なのかなと感じました。

 

市村:そうですね。目的がないとリタイヤしてしまう子が多いのが現状ですね。

 

茂木:残り10分ぐらいですね。次で最後にしましょう。「今までの人生で1番の学びは何ですか」というテーマに移りましょう。時間もないので意見を表明するだけになりそうですが。

 

阿部:僕は自分がどう思っているのかを大事にしているタイプ。自分が何に興味があるとか、自分がどういうことやったら嬉しいのか、逆に嫌なのか、そういったことに生活の中で気づいたときでしょうかね。それによって自分のやるべきことがはっきり見えてきて、1人で動けるようになります。また、僕は1年半がっつり、浪人生活を送りました。受験勉強で得た知識はかなり僕の中で基盤になっていて、大きな学びになっていたなと思います。

 

本田:答えにならないかもしれないんですけど、パネラー同士の話を聞いていて、知識の話をしているなと思うことが多かった。でも、自分が学びたいのは知識でなく知恵だなと考えています。では、人生で一番の学びは何かを考えると、日々の中でいろいろな知恵を学ぶことが多いので選べませんというのが、正直なところです。

 

市村:話していると、学びって、気づきの感覚に近いなというのが、僕の中で湧いてきました。そう考えると、僕のいちばんの学びはやはり気づきなんじゃないでしょうか。気づきから学ぶということがあると思うんですね。僕は母子家庭で育ったんです。自分は世界の中でいちばん不幸な人間なんだと思って生きていた時期もありました。しかし、役場に就職して児童福祉の部署に配属になったんですね。そこで、母子家庭の方々と面談して手当を支給する業務に就いていたんです。その時、母子家庭がものすごく苦しい状況にあるんだなぁと気づいたんですね。僕も母子家庭でしたが、学習機会があったり、余暇を楽しめたりする余裕はあった。業務の中で、母子家庭の現状に気づけたことで、母子家庭の現状を学びたいと思えたことが、今のNPO活動につながっている。僕の中で学びとは、気づきから生まれるのではと、今、思いました。

 

茂木:僕から意見を言わせていただくのも恐縮ですが、僕としては、この歳(30歳)になると経験から得るものの良さを感じることがあります。といっても、なんとなくの経験と、徹底した経験の間に大きな質の違いがある気がしていまして、本当の経験から得るものを大事にしなければいけないなとの思いが強いですね。同じ時間でも、ちゃんと自分の中に入ってくる経験をする機会がほしいというか。

 

市村:先駆者から「こうした方がいいよ」と言われることって多いんですよ。頭の中では分かるんですが、自分の中で落ちてないんで本当はわからないんですよね。でも、その人の言うフェーズまでたどり着くと、落ちて来ることがあるんですね。茂木さんの言っていることにピンときていますね。

 

茂木:そろそろ時間なので、これにて第一部のディスカッションは終了にいたします。この後の第2部では参加者の皆さん、各テーブルで議論をしてくれればと思います。

 

会場:拍手

 

     ~第2部ではパネルディスカッションを受けて、参加者での活発な意見交換が行われました~

 

閉会のあいさつ(秋山直樹理事):「学び」とは何かという議題は、非常に難しいなと思いながら自分でも考えていたんですけれども、お話をいろいろ聞いて、代表の小澤も、パネルディスカッションのパネラーの皆様も話していたのですが、やはり「他者から気づかされる学び」というものが多分にあるなと今日、再認識しました。パネルディスカッションでは「気づき」と「学び」、「知識」と「知恵」、面白いキーワードが出たなと思っています。自分でも考えてみたのですが、「知恵」は知るに恵、恵みを知ること、多分この言葉を作った人は、きっと実践的なことを想定してこの漢字の組み合わせをしたんでしょうね。対して「識」は仏教用語らしいのですが、「物事が分かれていることを知る」といった意味らしいです。それを知覚すること。分別することを知る、識るを知る、これを考えた人は実践的なことというよりは、物事の考え方、自分の頭の中の整理する意味でこの言葉を作ったんだろうな、と。そういった言葉の節々からいろいろ学びを深めることもできましたし、なによりも自分が改めて考え直す場が今日こここで開催され、よかったなと感じています。
我々ヘルベテとしましては、学ぶ場の提供、学習支援を今後も続けていくのですけれども、教育に関しては双方向的なところがあると感じています。我々が学生に対して教えられることもあると思いますし、逆に我々の側も学生の方々から教わることも非常にあると思います。こうした交流の場、日々の授業を通して、我々自身も学ぶ姿勢を崩さずに今後活動していきたいと思いますので、みなさま今後ともよろしくお願いします。

 

会場:拍手